パラグラフテキスト |
2006~2007年について若林は一番キツかったと振り返り、土屋はその頃は給料が入ってこなかったという。しかし落語芸術協会に入り寄席をこなす日々となり、漫才が中心になると漫才米騒動というライブに呼ばれ久々にオードリーと出会うと面白くなっていたと言う。その活躍ぶりに安心していたと答えた。そして2008年にはオードリーがM-1グランプリで敗者復活戦からの準優勝。その裏ではそれぞれが青春事件を抱えていた。浜谷はあの大会ではオードリーの後に実はハマカーンも大会で争っていたが会場は自分たちが漫才をする前にすでにオードリーという機運が高まっていて、もうどうしようもないと察する中で実際にオードリーが決勝に上がったと答えた。土屋はその大会の出番直前のモニターでオードリーが名前が呼ばれ、出ていくのを見ていたというが互いに健闘を祈ったのを覚えていると振り返った。TAIGAはその大会のときの所在についてはショーバプにいて、結果を知らず家で観ようと思っていたが、大会を観ていた知り合いがメールでオードリーが決勝にいったことを不可抗力で知ってしまったと答えた。佐藤は仕事の現場でその様子を見守っていて、その背中を押していたので嬉しかったと答えた。そして売れっ子になったオードリーだったが2009年について、土屋は人気バラエティ番組に出ていた芸人たちがへばり始めた頃に若林はジムに通うと言い出し始め、その理由をMCをしている人に腹が出ている人はいないと通い始めていたという。土屋はその心構えに感心していたというがそれを知らないキャンパスナイトフジのスタッフは楽屋でシャドーボクシングをする若林にモテようとしていると勘違いしていたという。若林は多忙により頭が回っていなかったと答えた。神田は当時満身創痍だった若林について、事務所のライブに顔を出したところ、スターが来たと皆がこぞって質問をしていたというが、その人達に若林はスターになる方法を聞かれ、ライブでできることはみんなできると激励していたのが印象的だったという。 |