パラグラフテキスト |
オードリーの代名詞のズレ漫才について佐藤は当時、どの作家陣もファーストインパクトでは否定的な意見が多くそれが傍から見てもきついと感じていたという。若林は突然ピンクベストの男が胸を張ってゆっくり出てくるというスタイルに関係者は変更するべきとアドバイス。しかしそれでも変えなかったので喧嘩になっていたという。若林は当時はもうこれしか手段がないと思っていたという。神田は当時の若林にお客に受けるネタを作れと指摘したが若林は自分が面白いかどうかでネタを作りたいと発言しそれが今も心に刺さると答えた。さらに浜谷はいくら作家がこき下ろしてもズレ漫才は芸人間では面白いと思っていたがM- 1 にまでのぼりつめ、それ以来事務所の作家陣などの言う事を聞く人はいなくなったと振り返った。オードリーは元々ナイスミドルと言う名前で活動していた。オードリーと改名しても売れずもがき続ける日々が2008年まで続いた。2002年にはキサラに出演していた春日があまりに遅刻をするなどし、TAIGAはどうか許してほしいと社員に懇願したがその日にも遅刻しまかないで大盛りを堂々と食べていたことで関係者にケツを蹴られたという。2004年に土屋はあんグラ☆NOW!というバラエティ番組で、春日と塙宣之とビックスモールンのゴンを並べ、はなわの弟を司会者が当てる企画が行われた。土屋はエピソードに塙兄弟がそもそもそっくりなので元々企画倒れだったがそれでも成立させようと無理やりだれが兄弟か?と行われたという。春日は司会の一人の渡辺正行と交流があったはずなのに顔を覚えられていないことにショックで、出たくもない企画に呼ばれていることへの葛藤があったと振り返った。土屋はその当時ナイツの仕事は人気のあったはなわの弟としての案件ばかりの仕事で、先輩に売れる方法を聞いた際にははなわの人気にあやかり、モヒカンを二本作ってはどうか?と言われたこともあったと答え、その弟の相方の自分はモヒカンを3本にしては?と言われ養子に入るという謎アドバイスをもらったと答えた。 |