パラグラフテキスト |
TAIGAはお笑い芸人になった経緯については23歳までサラリーマンをしていたという。その生活が楽しくなさすぎて逆に芸人なった時には売れてなくても楽しかったという。さらに根拠のない自信にも満ち溢れ今もそれは変わっていないと豪語した。土屋は下積み時代にはウケない時期がかならずあるという若林の言葉に、ナイツも団地の下の寄り合い所をかりてそこでライブをしていたという。若林は事務所から応援されている芸人には小屋が与えられていたが、それ以外の人は自分たちで探して自腹をきって会場をとる必要があったという。佐藤はその頃にオードリーのライブの照明やチケットのもぎりなどもしていたフリー時代の経験があったという。また芸人人生を振り返るとどきどきキャンプとしては同じ世代で活躍していた流れ星や磁石に比べたら鳴かず飛ばずだったという。若林はかつて人気のあったバラエティ番組の虎の門に出ていた芸人は自分たちにとって高嶺の花だったと振り返った。また塙宣之はその頃にもし今年売れなければ作家になると宣言していたという。浜谷は若林も作家になろうとしていた時期があったと振り返り、顔色も暗かったという。若林はお笑いを自ら辞めることは嫌だったが、クビと言われてしまえばそれまでなので、クビになろうと態度を悪くしていたと答えた。さらに滑っている割に事務所の輪に入らないのがよくなかったと自らの愚行を振り返った。 |