番組パラグラフ詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240814 > エピソード: 1337810 > コーナー:xxx > トピック:xxxx > パラグラフ: 18592168
パラグラフ
パラグラフID | 18592168 |
---|---|
コンテキストID | 17657174 |
放送時刻From | 2024-08-14 02:51:55 |
放送時刻To | 2024-08-14 02:59:56 |
WireAction更新時刻 | 2024-08-14 04:29:14 |
非表示フラグ | 0 |
パラグラフテキスト | 病床日誌に記録が残る601人のうち2週間のうちに亡くなっていたのは70人。その一つ一つに懸命に命をつなごうとする闘いがあった。全身に7か所の骨折を負いながら被爆直後から現場の指揮を執った病院長の竹内釼にはもう一つの闘いがあった。終戦の頃から日々書き留めていた手帳には病院を復旧するため、さまざまな手を尽くしていたことが記されていた。被爆から3週間余りがたった8月30日、竹内はこの日訪れた外国人に医療支援をあおいでいた。スイス人・フリッツビルフィンガーは国際赤十字委員会駐日代表部の職員。連合国軍に先駆けて広島の視察に訪れたビルフィンガーはその時の様子を報告書に記していた。ビルフィンガーはその日のうちに国際赤十字委員会駐日首席代表・マルセルジュノーへ電報を打ち支援を求めた。竹内自身も医療現場の窮状を広く知らせようと動いていた。9月に入り昭和天皇は自らの代理として広島に侍従・永積寅彦を派遣。竹内は広島赤十字病院を慰問した永積に対し病院の置かれた状況をまとめた報告書を手渡していた。医療従事者の半数以上を失っている苦境を伝えていた。被爆から1か月、竹内が求めていた医療支援が届いた。ビルフィンガーから電報を受け取った国際赤十字委員会駐日首席代表・マルセルジュノーが病院を訪れた。GHQの協力を取り付け米国軍の医薬品を広島に届けに来た。ジュノーは支援の継続も表明。広島はようやく国際的な支援とつながった。この時から広島の街では米国の軍人や科学者たちが調査を始めた。広島県医師会の映像。 |
タグ
id | paragraph_id | kind | name | name_company | m_word_name |
---|---|---|---|---|---|
50501980 | 18592168 | name | 竹内釼 | 広島赤十字・原爆病院 | 竹内釼 |
50501981 | 18592168 | company | 広島赤十字病院 | ||
50501982 | 18592168 | free | 骨折 | ||
50501983 | 18592168 | company | 広島県医師会 | ||
50501984 | 18592168 | name | フリッツ・ビルフィンガー | 赤十字国際委員会 | フリッツ・ビルフィンガー |
50501985 | 18592168 | company | 国際赤十字委員会 | ||
50501986 | 18592168 | company | 連合国軍 | ||
50501987 | 18592168 | area | 広島県 | ||
50501988 | 18592168 | name | マルセル・ジュノー | 赤十字国際委員会 | マルセル・ジュノー |
50501989 | 18592168 | name | 昭和天皇 | 該当なし | 昭和天皇 |
50501990 | 18592168 | name | 永積寅彦 | 該当なし | 永積寅彦 |
50501991 | 18592168 | company | 米軍 |
CloudSearch格納データ
scene_bodyに記載の文字がキーワード検索の対象id | ks18592168 |
---|---|
episode_id | 1337810 |
article_title | NHKスペシャル / 原爆 いのちの塔 / 原爆 いのちの塔 |
scene_body | 原爆 いのちの塔 # 原爆 いのちの塔 # 病床日誌に記録が残る601人のうち2週間のうちに亡くなっていたのは70人。その一つ一つに懸命に命をつなごうとする闘いがあった。全身に7か所の骨折を負いながら被爆直後から現場の指揮を執った病院長の竹内釼にはもう一つの闘いがあった。終戦の頃から日々書き留めていた手帳には病院を復旧するため、さまざまな手を尽くしていたことが記されていた。被爆から3週間余りがたった8月30日、竹内はこの日訪れた外国人に医療支援をあおいでいた。スイス人・フリッツビルフィンガーは国際赤十字委員会駐日代表部の職員。連合国軍に先駆けて広島の視察に訪れたビルフィンガーはその時の様子を報告書に記していた。ビルフィンガーはその日のうちに国際赤十字委員会駐日首席代表・マルセルジュノーへ電報を打ち支援を求めた。竹内自身も医療現場の窮状を広く知らせようと動いていた。9月に入り昭和天皇は自らの代理として広島に侍従・永積寅彦を派遣。竹内は広島赤十字病院を慰問した永積に対し病院の置かれた状況をまとめた報告書を手渡していた。医療従事者の半数以上を失っている苦境を伝えていた。被爆から1か月、竹内が求めていた医療支援が届いた。ビルフィンガーから電報を受け取った国際赤十字委員会駐日首席代表・マルセルジュノーが病院を訪れた。GHQの協力を取り付け米国軍の医薬品を広島に届けに来た。ジュノーは支援の継続も表明。広島はようやく国際的な支援とつながった。この時から広島の街では米国の軍人や科学者たちが調査を始めた。広島県医師会の映像。 # 広島赤十字病院 広島県医師会 国際赤十字委員会 連合国軍 米軍 # 杉浦圭子(日本放送協会), 竹内道, 山中崇, 生田カツ子, 上野照子, 斎藤紀(福島医療生活協同組合), 久保田明子(広島大学), 廣橋伸之(広島大学), 寄能賢吾, スーザン・リンディー(ペンシルバニア大学), マクシム・ドツェンコ(ウクライナ赤十字社) |
publish_start_date | 1723569780 (2024/08/14 02:23:00) |
local_name | kansai |