番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20230726 > エピソード: 1655727

エピソード情報

放送局 テレビ東京
プログラム名 あちこちオードリー 〜春日の店あいてますよ?〜
エピソード名 【オードリー青春SP】
カテゴリ 芸能
放送時間 2023-07-26 23:06:00 〜 2023-07-26 23:55:00
WireActionデータ更新時刻 2023-07-27 01:08:46

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=14498192]
今回は… [topic=21484827] 詳細
[ 23:06:00 - 23:06:38 ] 38秒 詳細
今回はハマカーン、TAIGA、佐藤満春、土屋伸之が登場。オードリー青春SPをお届け。
オープニング [topic=21484828] 詳細
[ 23:06:38 - 23:06:45 ] 7秒 詳細
オープニング映像。

(あちこちオードリー) [corner=14498194]
すべてを知る仲間とオードリー青春SP/中野Studio twlの話/学生時代に出会っていたオードリー・ナイツ/楽しい?苦しい?下積み時代の感情/ズレ漫才誕生の瞬間/2002年春日ケツ蹴られ事件/はなわブレイクの裏で苦しんだナイツ/区民プール潜水ギャンブル/2006年ちんげんさい教事件/2007年おっぱいボヨヨン乳首ドッカン/若林が一番キツかった 2006年=2007年/ハマカーンから見たM- 1敗者復活戦/それぞれのM- 1グランプリ2008他… [topic=21484832] 詳細
[ 23:06:45 - 23:12:05 ] 320秒 詳細
今回はオードリーと親交が深いメンバーが集結。ゲストはオードリーとの馴れ初めを語り合い、土屋は若林とは事務所も違う上、ものまねパブのキサラより前の付き合いで一番古い付き合いかもしれないと答えた。その出会いは大学生時代で、ナイツはラ・ママ新人コント大会というお笑いライブでオードリーと一緒になったがその頃は全然ネタがウケず、オードリーも一緒くらい滑っていて親近感がわいたという。若林は20代を振り返ったがゲストに下積み時代はどんな感情だったか?と質問。ハマカーンはそのことは苦ではなく、ただ好きなことが出来ているという自覚があったという。浜谷は春日とはお笑いの話をしたことがなく、逆に若林はよくお笑いの話をしていたという。若林は久我山の公園のアスレチックで浜谷がよく懸垂をしていたと振り返った。
[ 23:12:05 - 23:15:53 ] 228秒 詳細
TAIGAはお笑い芸人になった経緯については23歳までサラリーマンをしていたという。その生活が楽しくなさすぎて逆に芸人なった時には売れてなくても楽しかったという。さらに根拠のない自信にも満ち溢れ今もそれは変わっていないと豪語した。土屋は下積み時代にはウケない時期がかならずあるという若林の言葉に、ナイツも団地の下の寄り合い所をかりてそこでライブをしていたという。若林は事務所から応援されている芸人には小屋が与えられていたが、それ以外の人は自分たちで探して自腹をきって会場をとる必要があったという。佐藤はその頃にオードリーのライブの照明やチケットのもぎりなどもしていたフリー時代の経験があったという。また芸人人生を振り返るとどきどきキャンプとしては同じ世代で活躍していた流れ星や磁石に比べたら鳴かず飛ばずだったという。若林はかつて人気のあったバラエティ番組の虎の門に出ていた芸人は自分たちにとって高嶺の花だったと振り返った。また塙宣之はその頃にもし今年売れなければ作家になると宣言していたという。浜谷は若林も作家になろうとしていた時期があったと振り返り、顔色も暗かったという。若林はお笑いを自ら辞めることは嫌だったが、クビと言われてしまえばそれまでなので、クビになろうと態度を悪くしていたと答えた。さらに滑っている割に事務所の輪に入らないのがよくなかったと自らの愚行を振り返った。
[ 23:15:53 - 23:21:40 ] 347秒 詳細
オードリーの代名詞のズレ漫才について佐藤は当時、どの作家陣もファーストインパクトでは否定的な意見が多くそれが傍から見てもきついと感じていたという。若林は突然ピンクベストの男が胸を張ってゆっくり出てくるというスタイルに関係者は変更するべきとアドバイス。しかしそれでも変えなかったので喧嘩になっていたという。若林は当時はもうこれしか手段がないと思っていたという。神田は当時の若林にお客に受けるネタを作れと指摘したが若林は自分が面白いかどうかでネタを作りたいと発言しそれが今も心に刺さると答えた。さらに浜谷はいくら作家がこき下ろしてもズレ漫才は芸人間では面白いと思っていたがM- 1 にまでのぼりつめ、それ以来事務所の作家陣などの言う事を聞く人はいなくなったと振り返った。オードリーは元々ナイスミドルと言う名前で活動していた。オードリーと改名しても売れずもがき続ける日々が2008年まで続いた。2002年にはキサラに出演していた春日があまりに遅刻をするなどし、TAIGAはどうか許してほしいと社員に懇願したがその日にも遅刻しまかないで大盛りを堂々と食べていたことで関係者にケツを蹴られたという。2004年に土屋はあんグラ☆NOW!というバラエティ番組で、春日と塙宣之とビックスモールンのゴンを並べ、はなわの弟を司会者が当てる企画が行われた。土屋はエピソードに塙兄弟がそもそもそっくりなので元々企画倒れだったがそれでも成立させようと無理やりだれが兄弟か?と行われたという。春日は司会の一人の渡辺正行と交流があったはずなのに顔を覚えられていないことにショックで、出たくもない企画に呼ばれていることへの葛藤があったと振り返った。土屋はその当時ナイツの仕事は人気のあったはなわの弟としての案件ばかりの仕事で、先輩に売れる方法を聞いた際にははなわの人気にあやかり、モヒカンを二本作ってはどうか?と言われたこともあったと答え、その弟の相方の自分はモヒカンを3本にしては?と言われ養子に入るという謎アドバイスをもらったと答えた。
[ 23:21:40 - 23:26:20 ] 280秒 詳細
2004年TAIGAは区民プール潜水ギャンブル/という企画を思いついたという。屋外の潜水可能プールで、息継ぎなしでわたりきれば売れるというジンクスを信じて行われた遊びだという。夏になると毎日やっていたが春日が思いの外才能を発揮し、それを売りにして売れてしまったのはすごいと若林が答えた。2006年に佐藤はドッキリが好きだったはなわなどが佐藤が怪しい宗教にハマったと後輩にドッキリをかけたいと言い出し、春日の家をちんげんさい教の本山にし、そこで怪しい宗教が行われているということでそこにいる佐藤を救い出すという流れだったという。佐藤はその時青梗菜を頭にまいて、やってきた後輩をおさえつけたところでドッキリ大成功と春日の局部において読ませる予定だったがその部分が小さ過ぎて文字が読めなかった事件だと説明した。若林はさらに真夜中に公園で28歳にもなって背中に局部を描く遊びをしていたが、我に返った時に28歳にもなってなにをしているのかと今すぐ辞めなければと思ったという。また2007年に佐藤は久我山をよく歩いていた若林がおっぱいボヨヨン乳首ドッカンと呟いていたという。そこで佐藤も一緒に連呼し、そのまま帰路についていたと振り返った。
[ 23:26:20 - 23:32:25 ] 365秒 詳細
2006~2007年について若林は一番キツかったと振り返り、土屋はその頃は給料が入ってこなかったという。しかし落語芸術協会に入り寄席をこなす日々となり、漫才が中心になると漫才米騒動というライブに呼ばれ久々にオードリーと出会うと面白くなっていたと言う。その活躍ぶりに安心していたと答えた。そして2008年にはオードリーがM-1グランプリで敗者復活戦からの準優勝。その裏ではそれぞれが青春事件を抱えていた。浜谷はあの大会ではオードリーの後に実はハマカーンも大会で争っていたが会場は自分たちが漫才をする前にすでにオードリーという機運が高まっていて、もうどうしようもないと察する中で実際にオードリーが決勝に上がったと答えた。土屋はその大会の出番直前のモニターでオードリーが名前が呼ばれ、出ていくのを見ていたというが互いに健闘を祈ったのを覚えていると振り返った。TAIGAはその大会のときの所在についてはショーバプにいて、結果を知らず家で観ようと思っていたが、大会を観ていた知り合いがメールでオードリーが決勝にいったことを不可抗力で知ってしまったと答えた。佐藤は仕事の現場でその様子を見守っていて、その背中を押していたので嬉しかったと答えた。そして売れっ子になったオードリーだったが2009年について、土屋は人気バラエティ番組に出ていた芸人たちがへばり始めた頃に若林はジムに通うと言い出し始め、その理由をMCをしている人に腹が出ている人はいないと通い始めていたという。土屋はその心構えに感心していたというがそれを知らないキャンパスナイトフジのスタッフは楽屋でシャドーボクシングをする若林にモテようとしていると勘違いしていたという。若林は多忙により頭が回っていなかったと答えた。神田は当時満身創痍だった若林について、事務所のライブに顔を出したところ、スターが来たと皆がこぞって質問をしていたというが、その人達に若林はスターになる方法を聞かれ、ライブでできることはみんなできると激励していたのが印象的だったという。
[ 23:32:25 - 23:37:18 ] 293秒 詳細
神田は当時の自分たちの状況を振り返り、ウケるウケないでネタを作っていたせいか、面白い面白くないを持つためにどうしようと悩み、漫才コントでは自分たちのコントは出ないとスタイルを変更したという。それはオードリーからの影響が大きかったという。しかしウケるネタはあるがオードリーのようにはなれないと、病んでいた時期があったと振り返った。一方でTAIGAはただ楽しい日々が続いていたと語る。さらにR-1ぐらんぷりで優勝したTAIGAはブレイクすると信じていたがそうはならなかったと答えた。また同じ年に春日と浜谷は北海道旅行をしたという。浜谷は北海道で仕事があったが春日にドライブに誘われたという。春日は浜谷が特別に好きで、ホテルも一部屋で過ごしたと答えた。そして若林は佐藤と2010年に゙旅行。自分のお金で沖縄旅行できた事が何よりも嬉しかったと語る。佐藤はそのときに沖縄旅行の若林の奇行を紹介した。
提供 [topic=21485020] 詳細

CM [corner=14498319]

(あちこちオードリー) [corner=14498320]
恩人マエケンさんの話/オードリーに足りないもの.漫才協会入会/照れないで欲しい/TAIGA熱い想いを語る/若林にお言葉をいただきたい/もっと親分肌になってほしい/TAIGAのまとめ [topic=21485022] 詳細
[ 23:40:03 - 23:47:05 ] 422秒 詳細
出演者全員の恩人だという前田健について若林はよく叱られていたが、もしいなければ辞めていたかもというほどご飯を食べさせてもらっていたという。春日もよく叱られていたというが、長時間怒られすぎて蕁麻疹がでていたという。TAIGAは前田健らに好きなタイプで順位をつけられたことがあるが最下位だったという。若林は前田健のリビングのコルクボードには好きなタイプの男性の写真の切り抜きがいっぱい貼ってあったが、カンニング竹山や高田延彦などが貼られていたという。春日は前田健はさらに好奇心旺盛で、踵落としを喰らいたいと言い出し、ヘルメットを被った前田健にみなが踵落としをしたことがあったと答えた。ここでオードリーに足りないものを発表。土屋は今人気絶頂の中で漫才協会に入会し、漫才を大切にしている印象をつけ、中高年にもアピールしてほしいと答えた。佐藤は照れないでほしいとしたが、真意に主にラジオでの春日に対し、エピソードトークがどうしてもない場合は仕方ないが、あるのに照れて言わない時があると答えた。TAIGAは自身の熱い胸中をオードリーにぶつけた。神田は言葉をかけてほしいとしたが若林にありがたい言葉をいただきたいとかつての名言を紹介した。浜谷は若林にもっと親分肌になり、芸人を従える番組をしてほしいと答えた。
あちこちオードリーオンラインライブ [topic=21485061] 詳細
[ 23:47:05 - 23:48:35 ] 90秒 詳細
8月30日にあちこちオードリーオンラインライブが行われる。ゲストはアンガールズと平成ノブシコブシと行う企画を紹介した。

CM [corner=14498343]

(エンディング) [corner=14498344]
提供 [topic=21485063] 詳細
次回予告 [topic=21485064] 詳細
[ 23:51:35 - 23:51:55 ] 20秒 詳細
あちこちオードリー 〜春日の店あいてますよ?〜の次回予告。
TVer、U-NEXT [topic=21485065] 詳細
[ 23:51:55 - 23:52:00 ] 5秒 詳細
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