番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240506 > エピソード: 1315659
エピソード情報
放送局 | NHK総合大阪 |
---|---|
プログラム名 | NHK地域局発 |
エピソード名 | 東北ココから 人生は“敗者復活戦”〜仙台育英高校硬式野球部 卒業生の春〜 |
カテゴリ | 教育教養 |
放送時間 | 2024-05-06 05:10:00 〜 2024-05-06 05:38:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2024-05-06 10:29:20 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=11352390]
オープニング
[topic=17311020]
詳細
[
05:10:00
-
05:13:43
]
223秒
詳細
オープニング映像。
オープニング映像。
(東北ココから)
[corner=11352391]
人生は“敗者復活戦”〜仙台育英高校硬式野球部 卒業生の春〜
[topic=17311021]
詳細
[
05:13:43
-
05:21:56
]
493秒
詳細
東日本大震災から13年後の3月11日、宮城・石巻市に仙台育英高校硬式野球部が訪れた。野球部監督の須江航さんは毎年3月11日は練習を行わず被災地を訪れてきた。須江さんは生徒たちを連れて被災地を訪ねる狙いについて「ちょっとの時間だったかもしれないですけどボランティアとして地元の人たちと一緒に何かしたんだなっていうのが、時を変えてきっと彼らが難しいことが起きた時に行動してくれるんじゃないか」と語った。仙台育英野球部は2年連続で夏の甲子園決勝に進むなどした強豪校。プロ入りを目指し2人の生徒が臨んだ去年のドラフト会議ではプロ注目の左腕として甲子園で活躍した仁田陽翔さんが指名漏れとなった。肩を落とす仁田さんに須江さんは「絶対4年後ドラフト1位になって見返すぞ」と声をかけた。選手を鼓舞する須江さんの指導者としてのベースにあるのは高校時代の苦い経験だった。野球少年だった須江さんは元仙台育英高校の野球部員だったが、1年生だけで60人いる競争に勝てず背番号はもらえなかった。60人中「かぎりなく60位に近かった」と自身の実力不足を痛感した須江さんは2年生になり学生コーチになることを決断。その後中学校野球部の監督に就任した須江さんは結果がうまく出せない時「人生は敗者復活戦」という言葉に出会う。「失敗と向き合うことこそが成長に繋がるはず」という考えを須江さんは指導の信念に掲げることとなった。
東日本大震災から13年後の3月11日、宮城・石巻市に仙台育英高校硬式野球部が訪れた。野球部監督の須江航さんは毎年3月11日は練習を行わず被災地を訪れてきた。須江さんは生徒たちを連れて被災地を訪ねる狙いについて「ちょっとの時間だったかもしれないですけどボランティアとして地元の人たちと一緒に何かしたんだなっていうのが、時を変えてきっと彼らが難しいことが起きた時に行動してくれるんじゃないか」と語った。仙台育英野球部は2年連続で夏の甲子園決勝に進むなどした強豪校。プロ入りを目指し2人の生徒が臨んだ去年のドラフト会議ではプロ注目の左腕として甲子園で活躍した仁田陽翔さんが指名漏れとなった。肩を落とす仁田さんに須江さんは「絶対4年後ドラフト1位になって見返すぞ」と声をかけた。選手を鼓舞する須江さんの指導者としてのベースにあるのは高校時代の苦い経験だった。野球少年だった須江さんは元仙台育英高校の野球部員だったが、1年生だけで60人いる競争に勝てず背番号はもらえなかった。60人中「かぎりなく60位に近かった」と自身の実力不足を痛感した須江さんは2年生になり学生コーチになることを決断。その後中学校野球部の監督に就任した須江さんは結果がうまく出せない時「人生は敗者復活戦」という言葉に出会う。「失敗と向き合うことこそが成長に繋がるはず」という考えを須江さんは指導の信念に掲げることとなった。
[
05:21:56
-
05:29:00
]
424秒
詳細
「人生は敗者復活戦」という言葉は卒業生たちの支えにもなっている。2022年、仙台育英高校野球部は甲子園で優勝。その光景をスタンドから見守っていたのが当時三年生の志賀大智さん。背番号がもらえず応援団長としてチームを盛り上げていた。志賀さんは現在、料理人を目指し都内の日本料理店で修行中。祖母の家で下宿生活を送りながら修行に励んでいる。志賀さんはプロ野球選手に憧れ小学4年生から野球を始めた。高校ではレギュラーをつかめず将来を考えていた時、料理上手の母に憧れ料理人になりたいという思いを須江さんに相談したという。須江さんから「3年間野球がうまくなっただけで卒業するのはもったいない」と背中を押された志賀さんは料理人を目指すことを決意。全くの未知の世界に飛び込んだ志賀さんは度々挫けそうになることもあるというが3年間ともに過ごした仲間たちの思い出に支えられているという。
「人生は敗者復活戦」という言葉は卒業生たちの支えにもなっている。2022年、仙台育英高校野球部は甲子園で優勝。その光景をスタンドから見守っていたのが当時三年生の志賀大智さん。背番号がもらえず応援団長としてチームを盛り上げていた。志賀さんは現在、料理人を目指し都内の日本料理店で修行中。祖母の家で下宿生活を送りながら修行に励んでいる。志賀さんはプロ野球選手に憧れ小学4年生から野球を始めた。高校ではレギュラーをつかめず将来を考えていた時、料理上手の母に憧れ料理人になりたいという思いを須江さんに相談したという。須江さんから「3年間野球がうまくなっただけで卒業するのはもったいない」と背中を押された志賀さんは料理人を目指すことを決意。全くの未知の世界に飛び込んだ志賀さんは度々挫けそうになることもあるというが3年間ともに過ごした仲間たちの思い出に支えられているという。
[
05:29:00
-
05:35:59
]
419秒
詳細
3年生が卒業した後、仙台育英野球部は能登半島地震で被災した輪島高校と飯田高校の野球部を招待。13年前の4月には須江さんが監督をしていた中学校の野球部が石川県に招かれていた。その恩返しとして企画された招待試合だった。試合の合間には仙台育英の選手たちがレクリエーションを企画。避難生活で野球から離れていた能登の生徒たちに笑顔が戻った。ドラフトで指名漏れとなった仁田陽翔さんはプロを目指し立正大学の野球部に入部。寮での暮らしが始まっていた。仁田さんは「失敗を失敗のまま終わらせないで次にどんなことを生かして成功につなげられるかというのは高校の頃から大事にしていることなのでそれが染み付いています」と語った。仙台育英野球部には新たに新入生が入部。須江さんは新入部員に自分と違う価値観の人間を受け入れる大切さを説いた。
3年生が卒業した後、仙台育英野球部は能登半島地震で被災した輪島高校と飯田高校の野球部を招待。13年前の4月には須江さんが監督をしていた中学校の野球部が石川県に招かれていた。その恩返しとして企画された招待試合だった。試合の合間には仙台育英の選手たちがレクリエーションを企画。避難生活で野球から離れていた能登の生徒たちに笑顔が戻った。ドラフトで指名漏れとなった仁田陽翔さんはプロを目指し立正大学の野球部に入部。寮での暮らしが始まっていた。仁田さんは「失敗を失敗のまま終わらせないで次にどんなことを生かして成功につなげられるかというのは高校の頃から大事にしていることなのでそれが染み付いています」と語った。仙台育英野球部には新たに新入生が入部。須江さんは新入部員に自分と違う価値観の人間を受け入れる大切さを説いた。
(エンディング)
[corner=11352392]
エンディング
[topic=17311022]
詳細
[
05:35:59
-
05:36:30
]
31秒
詳細
エンディング映像。
エンディング映像。