番組詳細
TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240317 > エピソード: 1304254
エピソード情報
放送局 | 朝日放送 |
---|---|
プログラム名 | テレメンタリー2024 |
エピソード名 | 「“3.11”を忘れない93 100人の証言 命をつなぐ津波避難」 |
カテゴリ | 教育教養 |
放送時間 | 2024-03-17 04:50:00 〜 2024-03-17 05:20:00 |
WireActionデータ更新時刻 | 2024-03-17 08:11:30 |
コーナー・トピック・パラグラフ
(オープニング)
[corner=11235290]
オープニング
[topic=17141988]
詳細
[
04:50:00
-
04:50:20
]
20秒
詳細
オープニング映像。
オープニング映像。
今回は…
[topic=17141989]
詳細
[
04:50:20
-
04:52:44
]
144秒
詳細
2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波が押し寄せ、宮城・石巻市の死者・行方不明者は全国最多の3970人(全国1万8423人)にのぼった。住民の避難行動を分析すると危険なパターンが見えてきた。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波が押し寄せ、宮城・石巻市の死者・行方不明者は全国最多の3970人(全国1万8423人)にのぼった。住民の避難行動を分析すると危険なパターンが見えてきた。
(テレメンタリー2024)
[corner=11235291]
“3.11”を忘れない(93) 100人の証言 命をつなぐ津波避難
[topic=17141990]
詳細
[
04:52:44
-
05:06:41
]
837秒
詳細
宮城県石巻市の南浜門脇地区では約1800世帯・約4500人が暮らしていたが、2011年3月の東日本大震災で高さ7mの津波に襲われ、死者・行方不明者は545人にのぼった。海沿いは復興祈念公園に姿を変えた。沿岸から約700mの所にある日和山は津波が到達するまでの57分間で避難できる距離にあった。震災伝承団体「3.11メモリアルネットワーク」は東北大学と当時の避難行動を調査している。2016年から南浜門脇地区の住民100人を対象に、地震時にいた場所・いつ・誰と・どこに避難したか聞き取り調査をした。地震発生から3分後に大津波警報が発表されたが、すぐ高台の日和山へ向かった人はいなかった。15分後に門脇小学校の教員・児童が高台へ避難し、徐々に他の人たちも高台へ向かったが、高台に行かない人も多くいた。家庭教師をしていた草島真人さん(64)は教え子の家に向かう途中で地震にあった。海岸から5キロほど離れた場所にいたが、家族と連絡が取れなかったので、海の近くにある自宅へ車で向かった。自宅に家族はおらず、避難場所の小学校でも会えなかった。避難所生活に必要なものを取りに再び自宅へ向かう途中で津波に襲われた。死んだと思ったと当時を振り返った。バックのままアクセルを踏み込み何とか助かった。家族は別の場所に避難して無事だった。家族のためにも安全な場所に逃げるしかないと語った。調査を進めると、住民の約半数が2回以上移動していると分かった。草島さんのように外出先にいた人は自宅や職場に戻って避難が遅れ、命の危険にさらされていた。自宅・職場・小学校にいた人はほとんどが高台に避難していた。自宅兼店舗の人たちが逃げ遅れたことも分かった。自宅が文房具店だった嶺岸美紗子さん(35)は父・健之さん、母・ひとみさん、祖母・美代子さんと自宅にいた。店の片付けに追われ、一家は家ごと津波に飲み込まれた。嶺岸さんは助かったが、両親と祖母は帰らぬ人となった。嶺岸さんの家は高台のふもとにあり、早く避難すれば助かったと後悔を語った。自宅兼店舗にいた人は7割が命の危険にさらされ、調査対象者の中で最多だった。調査結果を分析した富士通研究所の牧野嶋文泰さんは、1960年のチリ地震の際に石巻市を襲った津波の被害が大きくなかったことから、東日本大震災の津波のリスクを低く見積もってしまったと指摘した。
宮城県石巻市の南浜門脇地区では約1800世帯・約4500人が暮らしていたが、2011年3月の東日本大震災で高さ7mの津波に襲われ、死者・行方不明者は545人にのぼった。海沿いは復興祈念公園に姿を変えた。沿岸から約700mの所にある日和山は津波が到達するまでの57分間で避難できる距離にあった。震災伝承団体「3.11メモリアルネットワーク」は東北大学と当時の避難行動を調査している。2016年から南浜門脇地区の住民100人を対象に、地震時にいた場所・いつ・誰と・どこに避難したか聞き取り調査をした。地震発生から3分後に大津波警報が発表されたが、すぐ高台の日和山へ向かった人はいなかった。15分後に門脇小学校の教員・児童が高台へ避難し、徐々に他の人たちも高台へ向かったが、高台に行かない人も多くいた。家庭教師をしていた草島真人さん(64)は教え子の家に向かう途中で地震にあった。海岸から5キロほど離れた場所にいたが、家族と連絡が取れなかったので、海の近くにある自宅へ車で向かった。自宅に家族はおらず、避難場所の小学校でも会えなかった。避難所生活に必要なものを取りに再び自宅へ向かう途中で津波に襲われた。死んだと思ったと当時を振り返った。バックのままアクセルを踏み込み何とか助かった。家族は別の場所に避難して無事だった。家族のためにも安全な場所に逃げるしかないと語った。調査を進めると、住民の約半数が2回以上移動していると分かった。草島さんのように外出先にいた人は自宅や職場に戻って避難が遅れ、命の危険にさらされていた。自宅・職場・小学校にいた人はほとんどが高台に避難していた。自宅兼店舗の人たちが逃げ遅れたことも分かった。自宅が文房具店だった嶺岸美紗子さん(35)は父・健之さん、母・ひとみさん、祖母・美代子さんと自宅にいた。店の片付けに追われ、一家は家ごと津波に飲み込まれた。嶺岸さんは助かったが、両親と祖母は帰らぬ人となった。嶺岸さんの家は高台のふもとにあり、早く避難すれば助かったと後悔を語った。自宅兼店舗にいた人は7割が命の危険にさらされ、調査対象者の中で最多だった。調査結果を分析した富士通研究所の牧野嶋文泰さんは、1960年のチリ地震の際に石巻市を襲った津波の被害が大きくなかったことから、東日本大震災の津波のリスクを低く見積もってしまったと指摘した。
CM
[corner=11235292]
(テレメンタリー2024)
[corner=11235293]
“3.11”を忘れない(93) 100人の証言 命をつなぐ津波避難
[topic=17141991]
詳細
[
05:08:56
-
05:16:55
]
479秒
詳細
東日本大震災の発生から15分後に門脇小学校の教員・児童が高台へ避難を開始。当時校長だった鈴木洋子さん(73)が避難の指揮をとった。日頃から津波が来たら高台へ逃げる訓練をしていたという。子どもたちが先に逃げたことを知った保護者たちも高台へ向かって助かった。集団避難を見て危機感を感じ避難した住民もいた。石川芳恵さん(60)は自宅に戻った夫・秀明さんを小学校の校庭で待っていたが、校庭では4人の教員が高台へ避難するよう呼びかけていて、石川さんも高台へ避難した。校庭に来た夫も高台へ避難して助かった。避難行動を分析した富士通研究所の牧野嶋文泰さんは、率先避難が津波の危機感を高く持っていない人に良い影響を与えたと語った。今年1月1日に能登半島地震が発生し津波が襲った。石巻市で避難行動を調査した中川政治さんは被害が大きかった珠洲市で調査を行った。住民たちは東日本大震災の経験があるから高台へ逃げたと語った。
東日本大震災の発生から15分後に門脇小学校の教員・児童が高台へ避難を開始。当時校長だった鈴木洋子さん(73)が避難の指揮をとった。日頃から津波が来たら高台へ逃げる訓練をしていたという。子どもたちが先に逃げたことを知った保護者たちも高台へ向かって助かった。集団避難を見て危機感を感じ避難した住民もいた。石川芳恵さん(60)は自宅に戻った夫・秀明さんを小学校の校庭で待っていたが、校庭では4人の教員が高台へ避難するよう呼びかけていて、石川さんも高台へ避難した。校庭に来た夫も高台へ避難して助かった。避難行動を分析した富士通研究所の牧野嶋文泰さんは、率先避難が津波の危機感を高く持っていない人に良い影響を与えたと語った。今年1月1日に能登半島地震が発生し津波が襲った。石巻市で避難行動を調査した中川政治さんは被害が大きかった珠洲市で調査を行った。住民たちは東日本大震災の経験があるから高台へ逃げたと語った。
CM
[corner=11235294]
(エンディング)
[corner=11235295]
テレメンタリー2024参加局
[topic=17141992]
詳細
[
05:17:40
-
05:17:45
]
5秒
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テレメンタリー2024参加局を紹介。ご意見・ご感想は「テレメンタリー」で検索。
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エンディング
[topic=17141993]
詳細
[
05:17:45
-
05:18:00
]
15秒
詳細
エンディング映像。
エンディング映像。