番組詳細


TVメタ情報 > 番組一覧 > 日付: 20240113 > エピソード: 1289221

エピソード情報

放送局 NHK総合大阪
プログラム名 かんさい熱視線
エピソード名 アーカイブス映像でつなぐ震災の記憶 阪神・淡路大震災29年
カテゴリ 教育教養
放送時間 2024-01-13 11:15:00 〜 2024-01-13 11:42:00
WireActionデータ更新時刻 2024-01-13 13:27:09

コーナー・トピック・パラグラフ


(オープニング) [corner=11086970]
オープニング [topic=16928294] 詳細
[ 11:15:00 - 11:17:20 ] 140秒 詳細
能登半島地震が発生して11日。被害全容は明らかにならない。これまでの繰り返し大きな地震に見舞われてきた日本。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。6434人が犠牲となった。
オープニングトーク [topic=16928295] 詳細
[ 11:17:20 - 11:18:38 ] 78秒 詳細
元日を襲った能登半島地震。石川県では死者が215人、多くの人が避難生活を続ける。17日は阪神・淡路大震災から29年。

かんさい熱視線 [corner=11086971]
アーカイブス映像でつなぐ震災の記憶 阪神・淡路大震災29年 [topic=16928296] 詳細
[ 11:18:38 - 11:27:54 ] 556秒 詳細
今回、神戸市の危機管理室に協力してもらった。リストの中で最も関心を寄せた映像がある。被害が大きかった長田区にある御蔵小学校。住まいを失うなど避難する人は多い時で2800人にのぼった。災害を乗り越えようとする人々から教訓を導き出せないか、市の職員や地域の人々から一緒に考える上映会を開くことにした。上映会には当時の御蔵小学校の教員も参加する。森田さん夫婦は半年以上、避難所の運営にあたった。その後、経験を伝える活動を続けてきたが時の経過で記憶が薄れ当時のリアルな感情を思い起こせなくなっているという。先月下旬、上映会には市の職員や当時の教員、避難した人など19人が集まった。上映したのは地震直後から2週間後までの小学校の様子。ライフラインは被害を受けるなか、被災者が追い詰められてきた。一方で変化も生まれていた。避難した人々が協力して物資を分け合う姿も記録されていた。参加者が最も関心を寄せたのは震災当日の食料配布の場面だった。人々が殺到し一時騒然となった。災害時に地域の人々と信頼関係が築けるのか、真剣に考え始めていた。
アーカイブス映像が伝える姿/災害時の課題・教訓は/アーカイブス映像 共有の意味は [topic=16928297] 詳細
[ 11:27:54 - 11:31:27 ] 213秒 詳細
能登半島地震でも行政の支援が届かない孤立集落では助け合いしのいでいる現実がある。一方で阪神・淡路大震災以降は支援の制度が整備されてきた。だが災害ごとに多様で新しい課題が出てくる。震災経験者のうち経験・教訓を後世につなぐ行動をしていない人が約6割となる。震災を経験した人も減り続けている。
アーカイブス映像でつなぐ震災の記憶 阪神・淡路大震災29年 [topic=16928298] 詳細
[ 11:31:27 - 11:41:19 ] 592秒 詳細
被害の大きかった長田区で救助に当たった男性。今も被災現場に暮らす中野さん。約5時間後、住民同士で協力し救助にあたった。時間が経過し経験を話す機会が無くなったという中野さん。映像を見たことで当事者にしか分からない記憶を打ち明けた。語ったのは1人1人の行動に人の命がかかっているという震災の厳しい現実だった。続いて震災の記憶に蓋をして語る事ができなかった人もいる。地震当日の夜、宝塚市立スポーツセンターで撮影された親子。木原さん夫婦は息子がケガをした震災のことを忘れたことはないという。家族で震災について話すことはなかった。息子にケガをさせてしまった負い目、周りに命を落した人が大勢いるなか自らを被災者だと思うことはできなかったという。この日、家族は震災当日の映像を観た。両親はこれまで胸の奥に抱えていた震災の記憶を語りだした。映像を通じた初めて語られた震災の記憶。阪神・淡路大震災から被災した人の心のサポートを続けてきた冨永さん。アーカイブス映像の共有は災害に備える上でも重要だと指摘する。